わたしとそろばんの関わり① 岡部秀夫塾長
戦争前は運送業をやっていたという父、兵役で8年間中国戦線へ、その間、国内の状況は
一変し、大阪の焼夷弾降りしきる大空襲で家は焼けました。
父親は敗戦に伴い引き揚げてきて、母親と兄と再会、母親の親族と一緒に過ごすことになり、
そして、母が身篭り私を出産、共に過ごす母親の兄弟の家族にも出産が続きました。
10名からの兄弟従兄弟たちと楽しい子ども時代を過ごしました。
そこにそろばんブームがやってきて、家のすぐ近くに塾ができました。小さな教室に400名を
超す生徒が通ってくる。にぎやかでやかましくてたまらない。
「絶対にそろばんは習わない!」と心に決め、毎日のように塾に通ってくる生徒たちと喧嘩をしていました。
6年生の2学期になって、母親が「あんたもええ加減に習いに行き」と私を引きずってそろばん教室へ…
※これからどうなるんでしょう!波乱の幕開けです。
入塾した教室は、くろだ珠算道場。 先生は、黒田清満先生でした。