わたしとそろばんの関わり⑦ 岡部秀夫塾長
高校2年生の2学期になって、先輩方は引退、後を私たちが継ぐことなる。部長に呼び出されて、次期部長なるよう伝えられる。唖然、呆然であったが引き受けざるを得なかった。断れるような環境ではなかったのである。
そろばん日本一の学校であり、雨池健三等、日本一の選手のいる学校である。嘘のような夢のような日々であった。雨池健三選手のお陰で、新入生の中には有名な女子生徒も入るようになった。後輩やライバル校の選手の中にはその後、大阪珠算協会の役員になったり、日本珠算連盟の代表になったものもいる。中には右手が火傷で使えず、左手だけで選手生活をしているものもいた。その雨池選手が京都の大学に進学したこともあって、明徳商高から誘われるものの、ブラジル行きを決めた為に私に話が回ってきたのである。
明徳商業高等学校に採用され計算実務科に配属、勿論担当教科は計算実務、部活は珠算部顧問、お二人の超大物先輩先生の指導を受け、張り切り過ぎたのか、数年後、黄疸が出て受診すると急性肝炎との診断で余儀なく緊急入院!家の近くの方がいいだろうと大阪の診療所に入院となったのである。